アサーションって言葉も知らず
本書の内容は、タイトル通り、ズバリ、“アサーションについて”。
はい、レビュー終わり!
て、なんでやねん!ということなのですが、“アサーション”という言葉を知っている人にとってはタイトルを読めば分かるものだけど、そもそも“アサーションって何?”という人にとっては、本書が何について書かれた本なのかがつかめません。何について書かれたのかがわからないばかりか、そのジャンルについてもさっぱりわらかない。小説ではないことくらいは分かるけど、哲学?歴史?自然科学?なに?
少なくとも“アサーション”という言葉を知っている人であれば目に入るけれど、そうでなければ見向きもしないだろう。タイトルは作者と編集者とが一緒になって、ある程度売れることも想定して付けるものだと思うけれど、なんとも商売っ気のないタイトルなのであります。
なぜそんな話をするかというと、私はアサーションを知りたくてこの本を手にしたのではないから。
私がこの本を手にしたのは、ほんとにたまたま。
何の期待もせずに、何かの拍子で偶然手に入っただけでした。
とある本をメルカリで探したのですが、それは単独で売っていたのではなく、何冊かまとめたいくらという形でした。それでも安いし、まぁ、いいかとまとめて買った中に入っていたのが、今回紹介する『アサーション入門』であったのです。
そもそもアサーションという言葉も知らないから、本書が何の本なのかもわからない。
そこでしばらく放置され、そのままお蔵入りかという感じでした。
しかし、まぁせっかくだし読んでみようかと手にしたわけですが、うーーーん、これがまたとてつもなく良い本だったのです。
もっと早く読めばよかったかなと思いながらも、このタイミングだからこそ本書の内容が染み入ったのかなと思うところもあり、やはりここでも本とのご縁というのを深く感じたところでありました。
アサーションってなに?
アサーションというのは、私が理解するには、コミュニケーションを円滑にするツールのようなもの。
相手への気遣いは勿論ですが、相手だけではなく自分も尊重するというもの。
相手と自分、コミュニケーションの主体と客体を尊重しあうもの。
私たちはコミュニケーションをするときに、相手に気を使いすぎてしまっても損をするし、我慢をし続ければいつか爆発してしまう。また、その逆に相手を見下して声を荒げたりすれば、相手を傷つけることになるし、巡り巡ってその人の周りに人は寄り付かなくなってしまう。大まかに言えば、大なり小なりそういった個々人の歪みが人間関係を崩していくのが日常である。
言われてみればその通り。
大きく整理してしまえば、そういうことなのだ。
数年前に、アドラー心理学を基にした『嫌われる勇気』というのが流行ったことがある。
人間関係に悩める若者が、哲学者の先生を訪ねて心理学的な導きをいただいて心の成長を遂げるというもの。
私もこの本を読んだことがあるし、読んで感銘を受けたところもある。しかし、一か所だけ興ざめしてしまうところがあったので、全面的には好きになれなかった一冊だった。また、『嫌われる勇気』からアドラー心理学に興味を持って、そこから他にも著者の一人である岸見一郎氏の他の本を読んでみたのだが、どうも納得できないところが多かった。そのひとつは、私の読解力の中かもしれいないが、岸見氏の執拗なまでのまだるっこしさ、めんどくささである。さすが哲学者といえばそれまでなのだが、とにかくややこしい。申し訳ないが、文章が意味不明なのだ。
で、ここは『嫌われる勇気』のレビューではないので話を戻すけれど、何が言いたかったかというと、今回紹介している『アサーション入門』は、内容的には『嫌われる勇気』にも通じるところがある。にもかかわらず、にもかかわらずだ。内容はとっても簡単であり、そして実践的という違いがあるのだ。
『嫌われる勇気』は、文章がまだるっこしくて、読んでいて疲れる。すんなり読めずに腹も立つ。もちろん読者が混線をしないようにと、ひとつひとつ丁寧に論を積み重ねていく姿は好感が持てるし、そして読者もひとつひとつを解釈して積み重ねていく楽しみがあるのはわかる。おそらく哲学ってそういうものだし、そこに妥協をしない硬派なところも良いと思う。そういったところを乗り越えて、くらいついて読んでいく。ゆえに読後もどこか清々しいというのか、ちょっと成長できたような気になるところが、本書の良さである。
しかし、本を読んでしばらくすると、またどうも読む前とあまり変わっていない自分に気づいたりもするし、どうもモヤモヤがぶり返してしまうのだ。
それはなぜか?
それは、『嫌われる勇気』には実践がないからなのだ。日常生活で活かせる具体的なツールがないのだ。アドラー心理学を基にした考え方の提示はあるけれど、それをどう実践したらいいのかという方法はないのだ。だから私は、『嫌われる勇気』のある個所につまづいて、全面的に受け入れることができなくなってしまったのだと思う。あまり言うとこのレビューは誹謗中傷だという誹りを免れないかもしれないが、それでもあえて言わせてもらえば、とにかくきれいごとであって、“鼻につく”ってことなのだ。
と、なんだかまた『嫌われる勇気』に戻ってきてしまったが…。
日常生活での実践が出来なければ、結局は絵に描いた餅なのだ。
私たちはとても忙しい世界に住んでいる。
自分の生活だけでもきりきり舞いなのだ。
哲学的に物事を考えるのが大切なのはよくわかる。そこを乗り越えるために手間をかけるのは長い人生にとってはとてもプラスなことだ。
しかしそれは学生のときのような時間があるときに限る。
それを過ぎたら、あとは日常生活という実践の場のなかで、生きながら体得していくことしかできない。
生活を止めるわけにはいかないのだ。
アサーションは心理学の分野であるようだ。アドラーの影響も受けているところもあるらしい。
しかし、アサーションはアドラーとは一線を画している。
アサーションは心理学であるよりも、生活に根差した実践のツールではないかと思う。
そして、その根底には、相手の権利、自分の権利、つまりは、自分は自立して生きている存在だという自覚がある。
相手に左右されて生きている、そんな不自由は嫌じゃないですか。
相手の顔色をうかがって発言をするなんて、それって奴隷根性じゃないですか。
自分は自分である。
でも、それは相手を尊重する自分である。
相手だって生きる権利を有した存在なのだ。
だから、相手の権利も尊重できるし、その人も自分を尊重してみてくれる。
お互いがお互いの権利を尊重し、お互いの自立を認め合う、そういったことがコミュニケーションであり、社会生活なのだということ。
それを改めて気づかせてくれるのが、他でもないアサーションというツールなのだと思う。
もし人間関係に疲れているという実感があるならば、まずはコミュニケーションの方法を見直す必要があるかもしれない。しかも実践的なものを通して見直すことが必要だ。そこで、このアサーションの考え方はとても効果があることだろうと思う。できれば相手にもアサーションの考え方をしてもらいたいところだが、それは押しつけがましくできることではないので、まずは自分から変わる。そんな気持ちで本書を手にしてみたらいかがだろうか。
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レビュアープロフィール
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コガネブックス店主&源保堂鍼灸院・院長
本業は鍼灸師にして国際中医師。仕事柄、体や心、東洋医学の本をよく読むことが多い。
しかし、好奇心が旺盛なので、幅広くよんでおきたい性分。
写真を撮ること、散歩、旅行などが現在の趣味です。
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