『自分の小さな「箱」から脱出する方法』

これから注目されるべき漢方薬

 自分がもしも小さい箱の中に入っていると想像してみよう。

 本書の内容とは全く関係のないお話から・・・。

 私はWeb上ではこのコガネブックスというエア本屋を開業しておりますが、本業では、イスクラ産業の漢方薬を取り扱う薬店(薬戸金堂)を営んでおります。

 “パンダのマークでお馴染み”・・・といえばピンとくる方もいるかもしれませんが、世間的にはまだまだマイナーな存在。お世話になっているにもかかわらず、そんなこと言ったらイスクラ産業にはたいへん申し訳ないですけど、漢方薬はそもそも地味ですし、ツムラやクラシエなどに比べたらまだまだ認知度は“知る人ぞ知る”というくらいかなと思います。もちろんそこを打破したいと思ってはおりますが。

 そんな風にやや自虐的に言いながらも、実際に、これからはもっと漢方薬が見直されていく時代です。漢方薬が多くの人々の健康に役立つことが、これからより実感されると思いますし、そして科学的な解明も進んでいくものと考えられます。

冠元顆粒という処方

 そんな知る人ぞ知るイスクラ産業を代表する漢方薬(イスクラ産業は中成薬と呼んでいますが)に冠元顆粒というのがあります。
 漢方薬の分類でいえば活血化瘀というカテゴリーになりますが、2000年以上の歴史がある漢方薬にあって、この冠元顆粒はまだまだ新参者です。

 冠元顆粒の基になった漢方薬は、冠心二号方というもの。
 これは、毛沢東の時代に、毛沢東をはじめとする首脳陣のために組成された漢方薬です。当時、中華人民共和国の首脳陣の多くが、高血圧や高脂血症のような血液循環器に問題がある症状を持っていたそうなのです。このままでは首脳陣の健康が害されていくことから、漢方薬で予防や治療が出来ないかという命令が下され、冠心二号方という漢方薬が作られたそうです。

 そしてその頃の日本はどうだろうか・・・

 日本も高度経済成長期を終え、社会が豊かになり食生活も変わっていくなかで、やはり同じような循環器の症状を訴える人が増えてきている傾向にありました。いわゆる生活習慣病というものがこの頃から出てきたわけです。この社会の傾向をいち早く察知し、そして中華人民共和国で作られた冠心二号方という漢方薬の情報を耳にした先生が猪越恭也先生でした。そこで猪越先生は、旧知の仲であったイスクラ産業に、冠心二号方と同じ組成のエキス製剤を作ることを提案。そしてそこから厚生省の認可を得るまでに10年の月日を要したということがありました。

 と、なんだか冠元顆粒について熱く語ってしまいましたが、本題はそこではありませんね・・・。

 私がどうしてこの『こんな治療法もある』という本を手にしたのかという背景は、冠元顆粒の生みの親である猪越恭也の名前で検索してヒットしたということ、それを説明したいがために長々とすみません・・・。

漢方薬を調べていきつく古本

 アサーションというのは、私が理解するには、コミュニケーションを円滑にするツールのようなもの。

 相手への気遣いは勿論ですが、相手だけではなく自分も尊重するというもの。
 相手と自分、コミュニケーションの主体と客体を尊重しあうもの。

 私たちはコミュニケーションをするときに、相手に気を使いすぎてしまっても損をするし、我慢をし続ければいつか爆発してしまう。また、その逆に相手を見下して声を荒げたりすれば、相手を傷つけることになるし、巡り巡ってその人の周りに人は寄り付かなくなってしまう。大まかに言えば、大なり小なりそういった個々人の歪みが人間関係を崩していくのが日常である。

 言われてみればその通り。
 大きく整理してしまえば、そういうことなのだ。

 数年前に、アドラー心理学を基にした『嫌われる勇気』というのが流行ったことがある。
 人間関係に悩める若者が、哲学者の先生を訪ねて心理学的な導きをいただいて心の成長を遂げるというもの。


 私もこの本を読んだことがあるし、読んで感銘を受けたところもある。しかし、一か所だけ興ざめしてしまうところがあったので、全面的には好きになれなかった一冊だった。また、『嫌われる勇気』からアドラー心理学に興味を持って、そこから他にも著者の一人である岸見一郎氏の他の本を読んでみたのだが、どうも納得できないところが多かった。そのひとつは、私の読解力の中かもしれいないが、岸見氏の執拗なまでのまだるっこしさ、めんどくささである。さすが哲学者といえばそれまでなのだが、とにかくややこしい。申し訳ないが、文章が意味不明なのだ。

 で、ここは『嫌われる勇気』のレビューではないので話を戻すけれど、何が言いたかったかというと、今回紹介している『アサーション入門』は、内容的には『嫌われる勇気』にも通じるところがある。にもかかわらず、にもかかわらずだ。内容はとっても簡単であり、そして実践的という違いがあるのだ。

 『嫌われる勇気』は、文章がまだるっこしくて、読んでいて疲れる。すんなり読めずに腹も立つ。もちろん読者が混線をしないようにと、ひとつひとつ丁寧に論を積み重ねていく姿は好感が持てるし、そして読者もひとつひとつを解釈して積み重ねていく楽しみがあるのはわかる。おそらく哲学ってそういうものだし、そこに妥協をしない硬派なところも良いと思う。そういったところを乗り越えて、くらいついて読んでいく。ゆえに読後もどこか清々しいというのか、ちょっと成長できたような気になるところが、本書の良さである。

 しかし、本を読んでしばらくすると、またどうも読む前とあまり変わっていない自分に気づいたりもするし、どうもモヤモヤがぶり返してしまうのだ。

 それはなぜか?

 それは、『嫌われる勇気』には実践がないからなのだ。日常生活で活かせる具体的なツールがないのだ。アドラー心理学を基にした考え方の提示はあるけれど、それをどう実践したらいいのかという方法はないのだ。だから私は、『嫌われる勇気』のある個所につまづいて、全面的に受け入れることができなくなってしまったのだと思う。あまり言うとこのレビューは誹謗中傷だという誹りを免れないかもしれないが、それでもあえて言わせてもらえば、とにかくきれいごとであって、“鼻につく”ってことなのだ。

 と、なんだかまた『嫌われる勇気』に戻ってきてしまったが…。

 日常生活での実践が出来なければ、結局は絵に描いた餅なのだ。
 私たちはとても忙しい世界に住んでいる。
 自分の生活だけでもきりきり舞いなのだ。
 哲学的に物事を考えるのが大切なのはよくわかる。そこを乗り越えるために手間をかけるのは長い人生にとってはとてもプラスなことだ。
 しかしそれは学生のときのような時間があるときに限る。
 それを過ぎたら、あとは日常生活という実践の場のなかで、生きながら体得していくことしかできない。
 生活を止めるわけにはいかないのだ。

 アサーションは心理学の分野であるようだ。アドラーの影響も受けているところもあるらしい。

 しかし、アサーションはアドラーとは一線を画している。
 アサーションは心理学であるよりも、生活に根差した実践のツールではないかと思う。
 そして、その根底には、相手の権利、自分の権利、つまりは、自分は自立して生きている存在だという自覚がある。

 相手に左右されて生きている、そんな不自由は嫌じゃないですか。
 相手の顔色をうかがって発言をするなんて、それって奴隷根性じゃないですか。

 自分は自分である。
 でも、それは相手を尊重する自分である。

 相手だって生きる権利を有した存在なのだ。
 だから、相手の権利も尊重できるし、その人も自分を尊重してみてくれる。

 お互いがお互いの権利を尊重し、お互いの自立を認め合う、そういったことがコミュニケーションであり、社会生活なのだということ。

 それを改めて気づかせてくれるのが、他でもないアサーションというツールなのだと思う。

 もし人間関係に疲れているという実感があるならば、まずはコミュニケーションの方法を見直す必要があるかもしれない。しかも実践的なものを通して見直すことが必要だ。そこで、このアサーションの考え方はとても効果があることだろうと思う。できれば相手にもアサーションの考え方をしてもらいたいところだが、それは押しつけがましくできることではないので、まずは自分から変わる。そんな気持ちで本書を手にしてみたらいかがだろうか。
 

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コガネブックス店主&源保堂鍼灸院・院長

本業は鍼灸師にして国際中医師。仕事柄、体や心、東洋医学の本をよく読むことが多い。
しかし、好奇心が旺盛なので、幅広くよんでおきたい性分。
写真を撮ること、散歩、旅行などが現在の趣味です。

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